■3月のフリートーク

「ハッテン交通論 ─「クルージング」における相互行為秩序試論─」

発表者:石田 仁

2000/3/25@東京ウィメンズ・プラザ
参加人数:14名

 ハッテン場を科学する!? 一見チャラいようでいて、実はゴフマンらの相互行為秩序論をベースにクルージング・スペースにおける非発話コミュニケーション状況を分析するという重厚な研究発表でありました。なお今回はレジュメの一部分に発表者の今後の研究の核となるような(いわゆる「マルシー」の)部分があるので、現在のところはこの部分だけ未公開とさせていただきます。このため、多少レジュメとフリートークとの間で話のつながりが悪くなっていることをご了承ください。フリートークはこちら


ハッテン交通論 ──「クルージング」における相互行為秩序試論──
2000.03.25.於VIVID         
石田 仁(sabaydii@pb3.so-net.ne.jp)

キイ・ワード:stranger判定、一瞥、当惑、回避儀礼/呈示儀礼

(0) 準備/まめちしき
 (0-1) ハッテン場とは:定義、分類、今回扱うハッテン場、ハッテン場の特徴
 (0-2) 「さしずめそれは、混雑する新幹線のデッキに赤の他人と居合わせた感覚の」
 (0-3) ハッテン研究の現状
(1) 「一瞥をくれる」
 (1-1) 出逢い、一瞥
 (1-2) 一瞥の衝突、当惑
 (1-3) 回避儀礼/呈示儀礼、テリトリィの尊重行為/テリトリィの侵犯行為
(2) 「さぐりあい」
 (2-1) 恋愛のジレンマ
 (2-2) ハッテンのジレンマ
(3) 装置としての迷路
 (3-1) 一瞥と「一瞥」
 (3-2) (考察:まとめにかえて)


参考文献

(0) 準備/まめちしき
(0-1) ハッテン場とは:定義、分類、今回扱うハッテン場、ハッテン場の特徴

ハッテンの定義:合意にもとづく匿名的な男性間性交渉
分類:商業ハッテン場/非商業ハッテン場
今回:扱うのは商業ハッテン場、特に中箱小箱規模の「クルージング」。
特徴:照明暗い、来店動機は一致、身体の記号化(匿名的)、しゃべらない/しゃべらせない
最近のクルージング傾向:ビデボ↓ ヤリ部屋↑(長期的)、若年層の脱衣系移行、着衣系の価格破壊(中期的)、「曜日別メニュー」が一段落・無効化、デブ・クルージングの供給(最近)。

(0-2) 通説 対 僕の所感「さしずめそれは、混雑する新幹線のデッキに赤の他人と居合わせた感覚の」

(0-3) ハッテン研究の現状

HIV/AIDSといった疫学的研究ならある[砂川, 1997]。
ハッテンは人と人とのかかわり合い(相互行為)。相互行為を儀礼のかさなりあいとしてとらえ、非常にユニークな視点から明るみにだしたアメリカの「人間学者(anthropologist)」、E.ゴフマンのアイディアの一部を借りて「ハッテン」なるものを少しだけ分析してみよう。

(1) 「一瞥をくれる」
(1-1) 出逢い、一瞥

人との出逢いには二種類ある。知っている者との出逢いか、見知らぬ者との出逢いか2
現代社会における多くの出逢いは、見知らぬ者(stranger)との出逢い。見知らぬ者同士が出会ったときには、無関心を装おうとする3 。しかし、もし知っている者同士の出会いならば、挨拶など相手へきづかっていることを示さなければならない。このため相手の顔に一瞥をくれ、たしかめる、ここではその慣習を「stranger判定」とよんでおく。

(1-2) 一瞥の衝突、当惑

(1)スクランブル交差点をはさんですれちがうふたり
(2)出会い頭のふたり

(3)バスを待つふたり
(4)バスを待つふたり 当惑が起こるとき

...しかし仮に、左の人(Lさん)が右の人(Rさん)を見続けた場合はどうだろうか。右の人(Rさん)は居心地の悪い気持ちになったり、狼狽するかもしれない。──左の人は知り合いではないはずだが、どうしてそんなに自分を見つめるのだろうか。なにか聞きたいことでもあるのか、それとも自分の顔になにかついていて、それを物珍しそうに見ているのだろうか──そのようないたたまれない「感情」を、この発表ではまとめて「当惑(embarrasment)」といっておこう。下の図では「当惑」をXXXXXXとあらわしている*。

当惑「戸惑い、同様、赤面、冷や汗、硬直、あせり、居たたなまれなさ、狼狽、圧迫感、喉の渇き、指先や身体の震え……そうしたさまざまな身体指標とともに、他者との共在もしくは相互関係を前提にして経験される感情のこと」[安川, 1997: 140]。

(1-3) 回避儀礼/呈示儀礼、テリトリィの尊重行為/テリトリィの侵犯行為

ゴフマンは、現代社会には「人格崇拝すべし」(みだりに人格を侵してはならない)という底流があると考えた。したがって人と人とのかかわり合い、つまり社会的相互行為の場においては、自分と相手の人格を尊重せねばならないことになる。一言でいえば「相互行為は顔の立てあいとなる」。相手に敬意を示す作法をさまざまなことばでゴフマンはあらわしているが、次の一対の用語で考えてみることにする:
(1) 回避儀礼(avoidance ritual):相手に対して一種距離をとることで相手への敬意を示す作法[草柳,1991: 139]。
(2) 呈示儀礼(presentational ritual):人が、相手に対して敬意や好意を持っていることを呈示する行為。回避儀礼が尊重している相手に対してすべきではないことを規定しているのに対して、呈示儀礼は、すべきことを規定する。挨拶、目があったら無視せずに微笑む、困っているときには手助けできることはないか尋ねる、など[草柳,1991: 140]。

*みだりに人格を侵してはならないとは、近代社会においては人には侵してはならないテリトリィみたいなものがあるということでもある。したがって、テリトリィと先ほどの2種類の儀礼を重ね合わせた場合、おおむね、回避儀礼が他人のテリトリィの尊重行為、呈示儀礼が他人のテリトリィの侵犯行為、にあたる。

・回避儀礼≒テリトリィの尊重行為、呈示儀礼≒テリトリィの侵犯行為

(2) 「さぐりあい」
(2-1) 恋愛のジレンマ  (親密化[草柳,1991]、告白と当惑[安川,1997]を参考に)

・回避儀礼の解除と呈示儀礼の導入
 恋愛関係を築きたいふたりの間で、回避儀礼を続けるばかりでは、いつまでたってもそれ以上親密な関係にはならない。親密な関係を求める恋愛者たちは一般的に「回避儀礼を解除し、呈示儀礼をすることによって、カップル関係を確立させていっている」といえる。恋愛における呈示儀礼とは、相手のプライバシーを知ろうとするふるまいだとか、相手を気づかう言葉だとか、もっとも直接的には「告白」そのものがそうだ。だがことはそんなに単純じゃない:
・回避儀礼の解除と呈示儀礼の導入はしばしば当惑の種になる
 第一に、呈示儀礼は「行き過ぎ」や単なるのテリトリィ侵犯行為ととられる可能性がある。
 第二に、これは告白された側の「受難」であるが、その時点までの自分の経験が多かれ少なかれ"事実"と異なるものであった、ということがわかってしまう[安川,1997: 154-155]。
→したがって恋愛関係の形成をするためには、回避儀礼の解除と呈示儀礼の導入が、必ず、親密化の過程として経験されていくことが必要なのである[草柳,1991: 140]。だが...。
・待っていてもはじまらない。われわれはたいてい、リスキーな呈示儀礼を選ぶしかなくなる。

(2-2) ハッテンのジレンマ

「恋愛のジレンマ」で示されたアイディアをハッテンに移植する。ハッテンにも同様のジレンマがあるとする。ただし微妙に恋愛カップル形成の場合とはちがうところもあるだろう。
・回避儀礼の解除と呈示儀礼の導入はしばしば「当惑」の種になる。
ハッテンの再定式→匿名的に出逢ったふたりが回避儀礼から呈示儀礼に移行すると同時に、互いをH相手として承認しあっていく経験

 ここまでわかるように、ハッテンとはただ「素性のしれない間柄でヤったりヤられたりする」切ない性行為をさすとか、そのような状況を苦とも思わない鬼畜がうようよ徘徊している場所がハッテン場でありクルージングである、という認識では必ずしも妥当とは言えないことがわかると思う。では実際はクルージングではどのような儀礼にもとづいた相互行為──様式の交通──が行われているのだろうか。くわしい具体例をだしてみよう。

* まずこれはクルージングの一角であり、カーテンで仕切られている。...

(←「なんでもない状況」)(中途略)

* また、ここから3Pにも「自然な3P」「情けない3P」があるということがわかる。


(3) 装置としての迷路
(3-1) 一瞥と「一瞥」

・「stranger判定」の転用と限界

 日常で、われわれが一瞥をするのは「知り合いだったら呈示儀礼/ 見知らぬ者なら回避儀礼」といういずれか一方の、しかしどちらも儀礼である行為を行うためのものだ。これを「stranger判定」とよんでおいたのだった。さてクルージングではどうか。クルージングでは(ご存じの方はしごく当たり前のことだが)「品定め」のために一瞥がなされている(これをカッコ付きの「一瞥」とでもよんでおこう)。いうなればクルージングではstranger判定を転用した「一瞥」によって「品定め」が行われている。これは街頭ナンパも同じである。
 もちろんクルージングではstranger判定も行われる。居合わせた相手が知り合いであるかどうか、相手がイケない知り合いであるかどうか、相手が恋人であるかどうか、相手が昔の恋人であるかどうか、相手がミセコのあいつであるかどうか、相手が父親であるかどうか...は重要なことでありstranger判定そのものも行われてる。しかしそれと同時にstranger判定を転用した「一瞥」によって、相手のイケ度と自分への好意を見ぬくことは、おそらくクルージングにいる人々の最大の関心事だろう。
 しかしstranger判定の転用は限界がある。なぜなら、stranger判定をまさに転用している限り、クルージングが暗いとはいえ、それは数回で終わらねばならないものだからだ。けれども、実際は、(1)1,2回ではイケるイケないは判断しかねるし、(2)人気のあるクルージングのしかも週末のごくわずかな時間帯をのぞいて、多くの場合、客の入れ替わりはほとんどない。他の客とは何度も何度も何度も逢うことになる。「まだアイツいるよ」「またアイツと逢っちゃった」というけだるい雰囲気が全体を覆っている。stranger判定を建て前とする「品定め」が有効である間はほんのわずかで、客層の入れ替わりもなく、「転用」は、急速な逓減曲線を描くだろう(下図)。

・(「stranger判定」ではキビシくなった「出逢い」は、「(衝突する)一瞥」を延々と作り出す迷路によってすくわれる。迷路は面子維持装置であると同時に、呈示儀礼を励行する増幅装置にもなっている。“「鈴が鳴っても迷路のどんづまりに待機しているようなヤツはバカ」なのだ”)

(3-2) (考察:まとめにかえて)

 (1) 「外国人お断り」 クルージングでは日常世界の相互行為で使う様々な儀礼の利用・転用がおこなわれている。したがってこの儀礼を共有していないものこそが、おそらくクルージングでは「雰囲気をそぐ」相手として嫌われるのだ4 。だれかれかまわずモーションかけるヤツ、すごい勢いでびゅんびゅんボックスの回廊を周回しているヤツ、回避儀礼がわかんないヤツ。逆説めくが、しかし考えてみればしごく当たり前のことだが、こうした儀礼の微妙な曖昧さに頭を悩めることこそ、ゴフマンにいわせれば「関係のゲームへの参加者として十分有能であること」の証しなのだ。
(発表者は、「外国人NG」を出しているクルージングが多い理由はHIV等の感染経路だから、という理由だけでは必ずしもないと考えている。外国人(欧米人)は、そのような「ハッテン技法」を共有していないと考えられているから断られるのかもしれない。)
 (2) 「ハッテンしやすいつくり」 ただただ毛布が並べられているヤリ部屋や、ただただパーティションで区切ってあるだけのビデボ。クルージングは店のつくりはほとんどかわりない。とくにどこの店が「いるだけで興奮してたまらない」というわけではない。毛布やパーティションの海から「えろちっく」な関係をひねりだすのはおそらくおたがいの儀礼の発動いかんにかかっている。俗に言う「ハッテンしやすいつくり」とは今回見てきた儀礼が円滑に行われるようななんらかの配慮が備わっているところのことかもしれない。
 (3) (その他の議論:社会学における※)→5


1 ※ 「むきだしの欲望のままにふるまう人間同士の関係」を社会学では「ホッブス的無秩序状態」といいます。人々の集まり=社会は、なぜ「ホッブス的無秩序状態」ではなく、ある秩序が編成されうるのか(「社会秩序はいかにして可能か」)、これが社会学の長年にわたる未完の大問題です[大澤, 1993]。ゴフマンはこれに一つの答えをだした人。ただし、ゴフマンはなぜ(why)という問答方式ではなく、どのように(how)秩序編成がなされているのかを詳細に呈示したひとりです。

2 「出逢い(encounter)」概念が日常用語より拡張してつかわれていることに注意してください。ある人が自分の視界に登場し、その人の視界にもわたしが登場しているだろうという想定によるお互いの状況を「出逢い」というわけです。つまり、他人と自分が一定のシーンに居合わせる(集まっている: gathering, あるいは共在する: co-presence)ことです。スクランブル交差点のあっちとこっち、ベッドの中、行列ができるラーメン屋での順番待ち、井戸端会議、授乳、コンパートメント車両の相席などなど。しめし合わせて会うこと以外からなる(偶然性の)集まりもふくまれているため「出会い」ではなく「出逢い」の字をあてておきますね。

3 ※ 例外的に、ピクニックではすれ違う人と人は見知らぬ者同士でも挨拶を交わします。けれどピクニックをおえて下山している人とダムに仕事にいくために山を登っていく人とは挨拶を交わしません。ここから、動機や目的(すなわちピクニック)がある規範的行為を帰結する(見知らぬ人との挨拶)とは必ずしもならないのです("動機→行為" シェマ批判)。社会学ではこれを「状況の定義」の違いとして説明します。

4 (【親しき仲にも礼儀あり】というコラムから)《店内で見かける「私語厳禁」の張り紙。あれは、知り合い同士が集まってベラベラしゃべりまくることで、他のお客のヤル気に水を差さないようにするための場合が多い。店内で友達と偶然会ったら、軽く会釈するぐらいがスマートだね。彼氏と会ってしまったら、速やかに店を出て表でケンカしよう(笑)。また、タイプでない人から誘われてしまった場合、サラッとその手をかわせるぐらいのココロの余裕を持ちたい。相手に悪気はないんだから、バチッとはたいたりしちゃダメ。それでもさらに触ってこられたら、「ごめんなさい」と言うとか、その場から離れることでNGの意志を明確に伝えよう。ここまでやってもさらにシツコクされたら、店員に言った方がいいね。「他のお客様に迷惑をかける行為禁止」の張り紙は、そのためにあるんだから。》[バディ, 2000: 56](下線発表者)

5 ※ その他、ゴフマンのアイディアからは、クルージングでの携帯電話の「通話」の禁止と「携帯メールの黙認」、から、クルージングにはのぞましい「関与配分(allocation of involvement)」があることが導出できます。クルージングの関与配分に着目すれば、最近数店でやられている「ワンドリンク・サービス」企画の機能に関して一定の答えを呈示できるでしょう。また、今回は、ハッテンを既述のように定式化しましたが、「焦点の定まらない相互行為から焦点の定まった相互行為へ」という描き方もできるはずです。このほうが相互行為者と外界との経時的な排他的移行性をよくあらわしており、いいのかもしれません。


主要参考考文献(★はとくに有益だった文献)

バディ 1998 「冬でも楽しいハッテン場!!」『バディ』5(12)、(1998.12.)、pp.36-59.
バディ 2000 「ヤリまくり!! 淫乱スポット2000」『バディ』7(3)、(2000.3.)、pp.35-62.
藤澤 三佳 1988 「ゴフマンにおける儀礼侵犯の問題:『アサイラム』と日常世界内の個人の「汚染」」『ソシオロジ』33(1)、(1988.5.)、pp.77-94.
Goffman, E.★ 1963 Behavior in Public Places: Notes on the Social Organization of Gatherings, The Free Press=1980『集まりの構造:新しい日常行動論を求めて』(ゴッフマンの社会学4)、丸木恵祐; 本名信行[訳]、誠信書房.
南島 健太郎 1997 「ゲイビジネス史:時代のながれと多様化」『薔薇族』299、(1997.12.)、pp.322-328.
草柳 千早★ 1982 「恋愛と社会組織:親密化の技法と経験」『ゴフマン世界の再構成:共在の技法と秩序』安川一[編]、世界思想社、pp.129-156.
大澤 真幸 1993 「「社会秩序はいかにして可能か」は社会学の基本的な問いである!」『わかりたいあなたのための社会学・入門』(別冊宝島176)、宝島社、pp.28-44.
佐藤 毅; 安川 一★ 1992 「社会的相互行為」『改訂社会福祉士養成講座12:社会学』(第1章第1節)、福祉士養成講座編集委員会[編]、中央法規、pp.16-27.
砂川 秀樹[ほか] 1997 「「ハッテン場」など日本のゲイをとりまく性的環境の調査、分析:アウトリサーチ活動をアクション・リサーチの手法として」『日本=性研究会議会報』9(1)、JASE、pp.18-29.
安川 一 1991 「〈共在〉というポルノグラフィ」『ゴフマン世界の再構成:共在の技法と秩序』安川一[編]、世界思想社、pp.185-210.
安川 一★ 1997 「“感情する”秩序:当惑と相互行為秩序」『感情の社会学:エモーション・コンシャスな時代』世界思想社、pp.139-174.

2000.03.25.発表用原稿、Ver.1.0.
2000.04.05.改訂第1稿、Ver.1.1.
2000.06.07.改訂第2稿(NL用 抄)、Ver.1.1.2.


ここからフリートーク(●=発表者・○=参加者です)

なぜ喋らないのか

○さっき石田さんは、AさんBさんCさんが入ってくるモデルでヤリ部屋での関係づくりの説明をしてくださったんですけど、その人達の身体的配置だけで相互行為を説明したのは、彼らが実際言葉を交わすことはないからってことですか。

●そうです。「ヨッ」とか言って入ってこないんで(笑)、そういうことは絶対ないです。

 

○電車の車内でもそういうことありますよね。横並びで座ってるとき、たまたま周りの乗客がみんな降りてしまってオジサンと私と二人っきりになっちゃった時とか、しばらく間をおいてから距離を取って座り直すっていう。嫌がってるわけじゃないんだけど、一歩距離を置いて…。

●あ、ただ、単に他者と一定程度の距離を置くぞってことなら、既に社会心理学で解き明かしてることではあるんです。けど、ここではみんなの動機が「イケてる人とはヤリたい」という点で一致してるんで、ただ距離を置くという回避儀礼(注:儀礼的無関心ともいう)だけじゃなくて、呈示儀礼もどうにか導入していかなければならないという点が違いますね。

 

○喋ってはいけないというのはどうしてなんでしょう。喋ってしまった方が楽になる部分もあると思うんですけど。

●ゴフマンに引きつけて言うと、一般的に何かしら自分のアプローチが失敗した場合には、ストレートに相手に謝ってしまうという方法もあるし、自分と相手のメンツを立たせるために「なかったことにする」という方法もあるわけです。「なかったことに」すれば、自分が手を出したのに相手が嫌がったという事実は最初からなかったことになるので。喋ってしまうと「イケないんだ、わかった、バイバイ」っていう事実が残るけど、その代わりに、喋らずにお互い離れていってしまえばそれはお互いのメンツを傷つけずに済む、というっていう風な議論をしています。ハッテン場ではヴァーバル(言葉の)コミュニケーションは使えないんだけど、それでもメンツを維持するとか自分の人格を崇拝させておくにはどうすればいいかってことで、非言語コミュニケーションによって「なかったこと」にするという方法があると。手を出しかけたら、あっち行っちゃったので、ああ、まあいいやと。

 

○じゃあ、性的な興奮をするためにじゃなくて、お互いイヤな思いをしないために喋らないってことですか。

●そうですね。僕はまだキッツいヤリ部屋って行ったことないんですけど、そこでも「オラオラ、ここがいいんだろ」みたいに言葉が出てくるのは、お互い呈示儀礼をしまくってハッテンが開始された後だと思います。

 

○言葉を交わすと気分が殺がれるからじゃなくて、言葉を交わすと呈示儀礼が「あったこと」になってしまうから、と。

●そうです。成功の確信が持ててから言葉が出てくるという。

 

○じゃ、ヤリ部屋の中で声を出すこと自体に制裁があるわけじゃないんですかね。

●うーん、たとえば、盛り上がってボックスの向こう側からあえぎ声が漏れてくる、なんてのは全体にポテンシャルを高めてくれるわけで、プラスの要素にもなります。店員がわざとサクラとして混ざったりすることもあると聞いてますし、一括してマイナスというわけではないみたいですね。

 

ハッテンできる装置づくり

○僕は上野のハッテン映画館しか知らないんですが、そこはもっと雰囲気の管理とかルーズで、たとえばビデボでは絶対あり得ないことだけど、女の子が入ってこれちゃったりするんですよね。「商業映画館で映画をかけてるだけだから、お金を払えば誰でも入っていいんですよ」って建前をそのまま通しちゃってるというか、雰囲気管理が石田君の取り上げたクルージングに比べてルーズで、その点全然違うわという印象を持ちました。

●それは、発表の最初に触れたように、ハッテン映画館は唯一の非明示的な商業系ハッテン場だからだと思いますね。

 

○あ、みなさんに説明しておくと、上野のゲイ映画館はハッテン料的なものが多少上乗せされていて、値段もその下にあるヘテロ向けポルノ映画館とちょっと違います。

●うん。あと、ホモ映画館やハッテン映画館をやってる所は、経営的に苦しくなってだんだんハッテン系になったわけです。バカスカ儲かってるハッテン映画館てのは聞いたことないし。ハッテン場(ビデボやクルージング)の場合はちゃんと儲かってるところもあって、やはりそこでは規制しないより規制した方がメリットがあるということでしょう。

 

○経営者側としても、迷路を組み込んだり、かなり細かくバージョンアップしたりと、かなり積極的にハッテンできるための装置づくりを心がけてるんですね。

●そうですね。某東京駅にあるGっていう脱ぎ系ビデボの例で言うと、前は単なる回廊系のハッテン場だったのが、先日行ったら回廊が圧縮されて迷路になってたりしてびっくりしました。

 

○レジュメ2-1の「恋愛のジレンマ」については、「恋愛関係を築きたい二人の間で回避儀礼を続けるばかりでは…」って書いてありますよね。これは「お互いがお互いのことを好ましく想っているであろう」という想定のもとでの話ですか。

●草柳の場合はそうですね。両想いかどうかはお互いに見えていないけど、僕も気があって、相手も気があるという状態です。恋愛関係に入るにはお互いリスキーな呈示儀礼をするしかない、という。

 

○ということは、草柳さんの議論は「既に知り合っていて、友達付き合いはしているけど、お互いに憎からず思っている特定の二人」を対象にした話ですよね。この点でまずハッテン場のケースと違うってことですか。

●ええ、回避儀礼・呈示儀礼というのも相対的なもので、全くゼロに近い呈示儀礼や100%回避儀礼をしなければいけない相手がいるのが今回の議論で取り上げた話なんですが、草柳さんの出してる例はそうじゃない例ということになります。

 

○いわゆるナンパの場合は積極的に言語行為してますけど、ナンパに失敗しても傷つかないですよね。逆に言えばハッテン場でも同じ身体言語だけで回避するのもあからさまな回避行為なわけだから、「Bさんが入ってきたらAさんが出てゆく」というのも、傷つく理由にはなりえるわけでしょう。拒否してるという情報はきちんとCさんに受け取られてるわけで、身体によって示されていても言語行為には違いないと思うし。

○発話と言語の違い。

○そうそう。

○んー、でもどちらにせよ、ハッテン場で「イケてる」ためには呈示儀礼に習熟しておく必要があるし、そこでの期待の裏切られにも強くなければならないでしょう。

 

マイナス得点の回避か、プラス得点の獲得か

○会話しないってことは、自分が傷つかないためだけにある決まり事ではなくて、別の理由があるのでは、と思ったんですが。

○ハッテン場を一種のゲームとして捉えた場合、「ヤる」ってことはもちろん大きな得点ではあると思うんだけど、タッチダウンとパント(←編注:キックゴールのマチガイ?)が違うみたいなもので、ハッテン場の雰囲気を破壊しないで、ハッテン場の成員としての役割を無難にやり遂げるということもそれなりの得点ではあるんでしょうね。

○うん、だから「自分が傷つかない」というマイナスポイントを取らないためだけではなく、そういう風に「スマートに振る舞う」というプラスポイントを挙げるために会話しないという積極的理由もあると言えるんじゃないかと。

 

○レジュメの「クルージングにおける呈示儀礼と回避儀礼」って表に出てくる「イタいビギナー」の例も、つまり適切な身振り言語を身につけてない、コミュニケーションに熟達してないってことですよね。あと注にあった「映画館系のルールに習熟した人がビデボで同じルールを適用して大失敗、しかもすれ違ってることにも気づいてない」という例がありましたけど、これも同じですか。

●そですね、ここで取り上げたビギナーさん達の場合は「ウォークマンを聴きながら颯爽とビデボの回廊を歩けば、それがスマートだ」と思ってるんだと思います。

 

○この場合難しいのは、後で「アレはイタいよねー」ってビデボに通ってる人同士で言語化して規範を確認・共有する場がないってことですよね。そうだとしたら、ひょっとしたら「ウォークマン聴きながらグルグル」は実はホントにイケてて、イタいと思ってるのは石田さんだけかもしれないし。

●うーん、そおですねー。

 

ホントに参加者は相互行為秩序を共有してるのか

○「なんでもない状況」というのはホントに存在するんでしょうか。A・B・Cの三者の動きで説明されてましたが、本当に「BがCに好意を持っている」なら、Aがいようがいまいがヤッてしまえばいいわけでしょう? このケースでは「AがいなくなるからB・Cが始めてしまう」というのではなく、「BとCが始めることでAを排除することが可能になる」んじゃないですか。確かに何らかの均衡状態というのもあり得るんだろうけど、なんでもない状況からAが動くことでB・Cのハッテンが始まるというのはどうなのかな。

●もちろん三者の間には、常にある種の欲望のエコノミーが働いているでしょうし、その点では「なんでもない状況」というのも、あくまでカッコ付きの「なんでもなさ」ですね。

 

○レジュメでは「軽い回避儀礼が続いている状態」と表現してるけど…。

○それがわからないな。「BがCとヤりたい」のであれば、始めちゃえばいいわけでしょう。そうすればAは立ち退かざるを得なくなる。なんで回避儀礼をしなければいけないのか。

●Bが自信家だったらともかく、Aがいる場でBがCに対して呈示儀礼をして失敗したら、BのメンツはCだけでなくAに対しても潰れることになるわけです。人のいないところで呈示儀礼を行えば、「なかったこと」にしやすくなるし、仮に「なかったこと」にできなくてもそれを二人だけの失敗に止めることができます。

 

○この場合は、Bが優位というか、Bを中心とした力学になってるみたいな印象ですけど。

●カドを取ってる人が優位ではありますね。

○優位というか安定ってことですね。Bは「自分のアクションによって周囲に及ぼす影響が大きい」って意味で「優位」だということでしょう。

 

○これは回避儀礼から呈示儀礼に入ってゆく一例なんでしょうか。

●えー、弱い回避儀礼をしていた状態が、ある要素の変化によって今度は呈示儀礼に再解釈されてしまうという例です。

○Sさんが「したいならヤッちゃえばいいじゃん」とおっしゃってましたが、実際には二重三重にそれを抑止する機構がある、ということを石田さんは発表してくれたんだと思います。ひとつは気詰まりの問題もあるし、またこの例では「まだお互いがイケてるかどうかが十分確認できていない」という状態なわけで。お互いがシたいかどうかも確認できないし、シたいにしてもそんなにスムーズに行為に入れないということで。

 

「クルージングの相互行為秩序論」の独自性

○「恋愛のジレンマ」の分析枠組を「ハッテンのジレンマ」に移植する過程では、中長期的に生起する現象が短期的時間軸で起きる現象に置き換えられてますけど、その点スムーズにゆくものなんでしょうか。その意味では「ハッテンのジレンマ」は「恋愛」よりも「ナンパ」に近いと思うんだけど、見たトコ理論的な齟齬を来しているって感じはしませんが。これはゴフマンの理論が応用性があるということかな?

○あと草柳さんの事例よりも石田さんの「ハッテンのジレンマ」の方がゴフマンに近いという感じがします。こういう現場のギリギリ感みたいなものこそゴフマンの得意ジャンルっつーか。

○恋愛とハッテンでは、まず「特定の二人か、そうでないのか」という点が違うってことですけど、他に違う点というと。

●やっぱり発話コミュニケーション/非発話コミュニケーションってことでしょうね。ハッテン場での身振り言語の場合は、会話によるコミュニケーションよりも自分の振るまいが多義的に捉えられやすいという点で、発話行為と違ってリスキーだと思います。

 

○でも、恋愛で「好きだ」っていうまでの腹の探り合いみたいな会話よりも、ハッテン場の事例にある「隣に座っている人に手を伸ばす」とか「距離を置いて座り直す」という行為の方がよっぽど直接的で誤解のしようがないと思いますけど。

●えと、ハッテンの場合は「隣接ペア」とか「会話の順番取り」という、会話で一般化されているルールがないので、コミュニケーションが円滑に進んでいるかどうかが確認しにくいんですよね。たとえば目線を送り続けることが相手に伝わったか確認しにくいし、さらにどのように伝わったかも理解しづらいし、その反応がどういう意味かわかりにくいし、と複合的な確認しづらさがあると思います。

 

○会話だったらとりあえず質問されたことには答えなきゃいけないんだけど、非発話コミュニケーションだと「反応を返さない」ということも一つの応答となりうるから、自分の身振り言語行為が伝わってるかどうかも確認できないってことですね。

○でも、相手に触ってみて嫌がらなければその先に、って状況では「触ったけど触り返してこないから、どうなのかな」って多義的に解釈する余地なんてないんじゃないですか?

○あー、でもオサワリによるコミュニケーションっていうのは、ハッテンのステップの中ではほとんど最後の切り札的な行為でしょう。他の身振りコミュニケーションで「これはイケるな」っていう基礎固めをした後「いよいよ」という状況で出てくる、恋愛で言えば「好きだ!」という言葉と同じなのでは。

○恋愛とハッテンのどちらも、途中のステップでは多義的な解釈がありうるだろうし、最終的段階ではオッケー/イヤ、という二者択一になるわけで、その点では同じなのでは? 恋愛の場合は「特定の相手の言い癖がわかってるかどうか」という習熟の問題があって、その点の違いに注目すべきんじゃないかな。

●確かに比較としては、恋愛ではなくナンパの状況と比較する方がいいのかもしれません。

 

オレ流クルージング論

○えーと、さっきから割と理論の枠組の話ばっかりになっちゃってますが、実体験として「これは違う!」みたいな意見があると凄くおもしろいんですけど。さきほどSさんと石田さんが話してたときは、枠組の話をしているようでいて、実は「オレがBだったらこうする」みたいな話をしてたような気が(笑)するんですが。

○や、僕はBですよ。僕がBでCのことが好きだったら、Aに構わずCとやっちゃいますね。

○そういう振る舞いが、ビデボやクルージングスペースの種類によって、周りから「いただけない」と思われてそうかな、とか「これは全然オッケー」みたいな印象を受けてるな、という雰囲気を感じ取ったりということはありますか? 自分がある儀礼を経てこういうアクションをしてるという時に、そのステップの踏み方を「ここ的にはオッケ」とか「ちょっとヤリすぎ?」ってことを感じたりします?

○それはケースバイケースって感じですね。相手の人によっても違うし。ホントにHをすることを目的にした場合は、僕がBだとすればCとすることが目標なわけで、AにかかわらずCに対してアクションを起こしますね。ただハッテン場に来る人が全員Hだけが目的かという点は難しくて、その後つきあいたいとか、人間的な関係を欲したいということもあるだろうし。

○やっぱりそれも「多得点ゲーム」と言っていいんでしょうか。

○そうね、Hするだけじゃなくて、その後メシを食べに行きたいとかお茶を飲みたいとか、そういうことがあれば、ちょっと振る舞い方も違うかもしれない。でも、基本的には拒否したければ拒否の仕方があるわけだから、こちらとしては積極的にコンタクト取っていって、イエスかノーかって感じで迫りますけどね。

○最初からバーンとメッセージを出して行く、と。

○そうそう。この例みたいにモジモジしてるのって逆にハッテンになるのかなーと思っちゃうなあ。まあシチュエーションにもよるんだろうけど。

 

年齢層の均質化とコミュニケーションの繊細化

○これは発表内容から大きく踏み込むことになってしまうかもしれませんが、もし「日本のハッテン史」みたいなものを描くとしたら、昔のハッテン映画館あるいは公園でのコミュニケーション・スキルから、クルージングのように微妙な機微を使う洗練されたコミュニケーションへという風に、非発話コミュニケーションの質自体が変わってきてるということになるんでしょうか。

●今日の考察のところでは省いてしまったんですけど、非発話的コミュニケーションが直接的か間接的か、ということを決定する要素としては、一般には大箱か小箱かと言われているんですけど、僕には年齢と、年齢差から生じる役割差の問題が大きいと思えるんです。映画館みたいに来てる人々の年齢が割と幅広いハッテン場だと、年が上の人が下の人を狙っていくときには結構ダイレクトにコンタクトしてもメンツが潰れない、と。一方クルージングだと、結構来ている層の年齢差が圧縮されてるんですよね。

●問題は「大箱/小箱」という違いではない、という例証としては、名古屋の「パンクラス」というビルディング系ハッテン場が挙げられます。ここの客層は基本的に若い子ばっかりで、もうちょっとトシの行ってる人達は「ニュー金山」とか「コロナクラブ」とかに行くという棲み分けができてるんですが、「パンクラス」は規模から言えば大箱なのにもかかわらず、今日発表したビデボやクルージングとほとんど同じような形式のハッテンが見られるんですね。ほとんど同じ年の人が集まってて世代による役割差というのがほとんどないので、なんかこうぐちゃぐちゃしてるんじゃないかと。

 

まとまってないまとめ

○ぼちぼち時間になっちゃったんですけど、今日あまり発言されなかった方から何か質問とかご意見とかありますか。

○やー、素朴な感想なんですけど、セックスするのって大変なんだなと思いました。これだけヤりたい人達が集まっていても、ヤれないで帰る人がいるとか、これだけ難しい心理戦みたいなものを黙って交わして、とっても大変なことなんだなあって。

○パッと考えると、「じゃあサインシステムをはっきり決めちゃえばいいじゃん」って思いますけど、そういうのって不思議とうまくいかないですね。そういえば昔「バンダナの赤/灰色、後ろポケットの右/左」ってのが一時期言われてたけど、あれも一瞬で消えたって感じですよね。

○えと、発表者の石田さんは、今後この議論をどうするとか、これで世界取ったるで、みたいなの、ありますか。たぶん二丁目研究としてハッテン場の相互行為秩序研究と飲み屋の相互行為秩序研究を対比してみたら、相当イイ感じになると思うんですが。シロウトながら。

●4年後これで本を出しますんで(笑)。てゆうか今日の発表はかなりルーズに作っちゃったんですけど、一応今日の批判を叩き台にして某セクシュアリティ系雑誌に投稿してみようかなと考えてます。「こういう系の研究もどんどんやってこうじゃないか運動」を進めてるんで。

○イケイケ研究メン系てことですね。じゃ、今日はどうもありがとうございました。(2000. 5. 27)